普段使っている言葉には、よくよく考えると意味が分からないまま、ただの記号として使っている横文字の言葉がある。この言葉の意味は何なんだろうと疑問を感じても、それを手帳につけ後で調べることはほとんどない。
ないはずだったが、近年いつでもグーグル検索ができるのでできる限り調べるようにしている。これは英語の勉強になるので、そんな言葉達をこれから収集していこうと思う。
①ウインドミル windmill /wín(d)mìl n.風車小屋、風車
なそは、小学校のころスポーツ少年団という団体でソフトボールをやっていた。部活みたいなもので、一年中拘束され試合に練習に毎週末活動するわけだ。学区内に住むヤクザのようなおじさん達が監督・コーチを務め、地獄の熱血指導をしていた。ユニホームは阪神タイガースと同じ、団歌は六甲おろしの替え歌、というトラキチのおっさん達が好き放題やっていた。
そこでウインドミルだが、これはソフトボールの投手の投げ方の一つである。ソフトボールの投手は真下から投げないといけないルールの中で開発された投法で、腕をぶん回してボールのスピードを上げるという合理的かつ繊細で恐ろしい投球フォームである。
ソフトボールをやっていれば、ウインドミルという言葉は自然に耳にするし、それを目にすれば「あの投げ方=ウインドミル」と理解できる。
しかし、「ウインドミル=風車小屋、風車」ぐらい誰か説明しろよと、今になって思う。「ウインドミルは何のことだかわからないが、とにかくウインドミルはウインドミルだ」というヘレンケラーよりも言葉の実感がないままスポーツ少年団時代は終わった。
そして言葉の意味が分かっていないので、年を重ねるにつれてウィンドミルだったかワインドビルだったか分からなくなる。ワインドビルもかなりそれっぽいし、もともとの言葉の意味が分かっていないのだから、後から分からなくなのも当然だ。
あのヤクザでトラキチのおっさん達は、ウィンドミルの意味を知ってたのかな?多分知ってたんだろうけど、当時「ウインドミルってどういう意味か分かるかい?」とか楽し気に教えてくれれば「ウィンド=風」で、「ミル=?」何だろう?みたいに思考が広がって少年の思いはどこまでも飛躍したかもしれないのに。
②ドッジボール dodge/dάdʒ vi,vt,n. ひらりと身をかわす、言い抜けるごまかす、影を作る、身をかわすこと、ごまかし、言い抜け、等々
小学校の頃、無意識に何百回となく口にしたドッジボールという言葉。先生も生徒も誰しもが口にしたこの言葉、それだけ皆が口にしているのに「ドッジ」の意味を何人が分かっていたのだろうか。なそは当然分かっておらず、ドッジボールがいつしかドッチボールになっていた。ドッジボールのドッジが何なのかを知らないのだから当然だ。訳も分からずドッジボールという言葉を何千回と口にして、それが競技の種類を意味するということ以上を僕たちが知る機会がなかったのだから。
「ドッジボールのドッジは何だか分からないがドッジボールはドッジボールだ」というヘレンケラーよりも言葉の実感が全くないまま、少年時代は終わった。
校長先生も、教頭先生も、なそを目の敵にした先生もきっとドッジの意味を知っていたと思う。だったら、教育機関なんだから「ドッジボールのドッジって何だと思う?」と興味が向くように面白おかしく知識欲を刺激するように誰か説明してよ、と今になって思う。
このドッジ(dodge)という単語は自動詞他動詞名詞であり何となく適当に使えそうだし、意味的にも日常で結構使えそうだし、dodgeを知ってたから救われる人も出たかもしれない。
もし、日本の教育機関がドッジボールを行う際に、逐一dodgeの意味を先生が説明すれば、日本国民はdodgeという単語に滅法強い国民になれると思う。とにかく、よく使う言葉なのに実は言葉の意味が全く分かっていないっていうのは、後々になって自己の愚かさと滑稽さが感じられて嫌だ。
③ピロティ フランス語: Pilotis
このピロティという言葉はフランス語とのこと。一階が吹きさらしのがらんどうで二階から部屋がある、という様式の建物の一階部分の何もない所がピロティだ。
なそが中学に入った直後に、暴力的なヤンキー上級生に「放課後にピロティに来いや」と巻き舌で言われたことがある。
身の危険を感じて恐怖とか先の見えない茫漠とした不安とか、色々な感情が渦巻いた。
しかし、一番混乱したのは「ピロティって何やねん」ということで、なんでお前は何の疑問もなく「ピロティ」という言葉を使っているのか、と不思議でしょうがなかった。
このピロティという言葉自体に動揺した。恐怖心が増してもう学校に行きたくないと思った。入学早々でかつ思春期の地に足がついてない時期に「ピロティ」という言葉は刺激が強すぎたように思う。
そもそも中学校当局がピロティという言葉を何の疑問もなく使っており、そうなると田舎のヤンキーもピロティという言葉を記号として当然のように使うようになるし、なそもいずれピロティが何なのかも分からずにピロティという言葉をその場所を指す言葉として当然のように使うようになる。
ピロティという言葉を「これがピロティなんだ」と実感として理解する機会は微塵もなかった。
↓ ピロティの具体例
(画像はWIKIPEDIAから拝借しました)
「ピロティって何だよ」と心の底で違和感はずっと感じてはいた。
中学校当局はピロティという言葉を場所を指す言葉として利用していたが、ピロティという言葉の意味合いを教える気は全くなかった。
「ピロティはピロティだ」という完全に教育を放棄した姿勢で、全員が訳も分からずピロティという言葉を使っている状態は今になって思うと面白いなあと思う。
ただ、「ピロティは建築様式の一つであって・・・」というWIKIPEDIA的な説明を学校側がしてくれていたら、建築に対する踏み込んだ興味を持ち人生が変わることもあったのではないかなと少し残念に思う。
ちなみに、放課後ピロティに行くと寒々しい吹きさらしの中で卓球部が所狭しと練習をしており、いくら待ってもヤンキー上級生は現れず何も起こらなかった。
これからもこういう言葉の収集を一つの趣味として書き連ねていこうと思います。ごきげんようさようなら。